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アスリートのちから

LINEのアスリート社員に聞く! 障がい者スポーツの魅力と究極の目標

LINEでは、世界に向けて羽ばたくアスリートの活動を支援しており、6人のアスリート社員が在籍しています。

今回、車いすバスケットボールの北田千尋選手と、車いす陸上競技の木村勇聖選手に、イベント前に時間をもらってインタビューしました。競技の魅力や目標に近づくための考え方、周囲とのコミュニケーションについて、話を聞きました。

北田 千尋(きただ ちひろ)

車いすバスケットボール選手。1989年1月12日生まれ。和歌山県出身、滋賀県在住。気管支喘息と、先天性股関節脱臼による両下肢機能障がいの2つの障がいを抱えて生まれる。日常生活では杖を使って歩行できるが、症状は進行性のため、大学でバスケットボールの指導者を目指す。在学中、インターンシップ先で車いすバスケットボールに出会い、その後は所属チームや日本代表での主力選手として活躍。より競技に専念できる環境を求めて、2016年4月にLINEのアスリート社員の一期生として入社。

木村 勇聖(きむら ゆうせい)

車いす陸上競技選手(100m、ハーフマラソン、他)。1999年1月12日生まれ。長崎県出身。先天性二分脊椎症の障がいを持って生まれる。2013年「長崎がんばらんば国体・がんばらんば大会」で、アテネパラリンピック銅メダルの副島 正純(そえじま まさずみ)さんに出会い、競技を始める。半年後には大分で行われた国際大会ハーフマラソンの部に14歳の最年少選手として出場。現在、2020年東京パラリンピックの出場を目指し、練習を重ねる。音楽が好きで、BTS(防弾少年団)を聴いたり、試合前はONE OK ROCKの「The Beginning」を聴くことが多いそう。趣味はアコースティックギター。2018年12月1日付でLINEに入社。

初対面の2人は、ともに1月12日生まれの山羊座。

――北田選手は、何度かこのブログに登場してもらいましたが、改めて競技を始めたきっかけを聞かせてください。

北田

初めて、競技用の車いすに乗ってバスケをしたのが、大学2年生の終わりで、それ以前は中学でバスケ部に所属していました。私の場合、進行性の脚の障がいで、杖や補助器具を使えば歩けてたし、当時は体育の授業程度ならできたので。どちらかというともう1つの持病、気管支喘息のほうが酷くて命に関わるほどで、私も含め、親もバスケを始めるなんて思ってなかったんです(笑)。

それで、中学の3年間、部活で本格的にスポーツを始めたはいいものの、みんなができる練習ができなかったり、選手としてコートに立てないことが分かって。高校は、あえてバスケ部がないところに進学しました。

――バスケから一度、離れたんですね。

北田

そのつもりが、未練があって。0からバスケ部を立ち上げて、コーチとして公式大会に出場しました。そのときに指導者になろうと、保健体育の教員をめざして進学したんです。

大学のインターンシップ先の障がい者スポーツセンターで、車いすバスケに出会って、その日のうちにチーム練習に参加させてもらいました。「車いすに乗ったら走れる」ことに魅力を感じたんですよ。

木村

僕の場合は、北田さんが魅力に感じた「車いすで走る」のがメインの競技で、短距離から長距離までいろんな距離を走ってますね。

――木村さんが、車いす陸上競技と出会ったのはいつ頃ですか?

木村

中学3年生のときに、地元・長崎の国体イベントで車いすマラソンの副島さんに出会って、「車いす陸上やろうよ」って誘ってもらって。始めてみたら球技よりも自分に合ってるし、楽しかったので、半年後にはハーフマラソンの大会に参加していました。

北田

えっ、いきなり20km以上の大会に出たの?

木村

そうです(笑)。副島さんに「大会に出てみるか?」って誘われたのが、たまたまハーフマラソンで。一応、車いすに乗りながらバスケやテニスをやっていたので、多少はスタミナとかあったのかな。ただ、それ以降はハーフマラソンだけでなく、短距離にもチャレンジして、今は100mがメイン種目です。

北田

メインがハーフマラソンじゃなくて、100mなの?

木村

そうです。でも、距離は違っても、それぞれ楽しいので。モチベーションも変わらないですね。

北田

距離もピッチも全然違うと思うのに、どう練習してるか気になる。今日はハーフマラソン、明日は100mって感じ?

木村

大体は、直近の大会に合わせて練習を進めますね。

北田

直近で行われるのが1年後の長距離の大会だったら、その間はずっと長距離で、その直後に短距離の大会があれば、そのまま出場するってこと?

木村

そうですね。

北田

天才だ! 基礎がめっちゃしっかりしてるか、身体能力がめっちゃ高いのか、勘がいいのか。

――さらっと、すごいことをやってのけてますね。

「つらさとか、きつさより『楽しさ』のほうが勝っちゃうので、誘われた種目や大会にはどんどん出ます」と木村選手。

自然な流れで、世界を目指していた

日本代表として参加した「2018アジアパラ競技大会」では銀メダルを獲得。写真、左から4番目。


――北田さんが世界を目指し始めたきっかけは?

北田

選手登録して1年目に、U-25の女子世界選手権の記念すべき第1回目があって、そこに日本代表として呼ばれまして。

――1年目で代表って、ものすごいスピード出世ですね。

北田

初っ端から大舞台を経験したので、やるなら世界を目指そうって思ったんです。大会後には、A代表の合宿に参加して以降、2011年から今までずっとA代表でプレーしています。

――どのような部分が評価されて招集されたと思います?

北田

私、声がめちゃくちゃデカいんですよ。それで周りからも「元気があるから行ってこい!」みたいな(笑)。

――ムードメーカーとして、周りの選手にも良い影響がありそうですね。

北田

どうでしょう。ただ、私の姿を見た後輩たちが育ってくれているので、そこは良かったと思ってます。「背中を見せたら育つだろう」タイプなので、常に後輩たちには、全力でやっているところを見せたいし、「言う」よりもコートの上で「示す」ことが一番だと思っていて、そこは今も変わらずに続けていますね。

――木村選手はいつ頃から世界を目指そうと思いました?

木村

早い段階で思いましたね。チーム練習で、メンバーと切磋琢磨する中、自分や周りのメンバーも世界への思いが生まれ始めていたので。

1本のシュートを5人でつくる面白さ、難しさ

――北田さんが思う、競技の魅力ってなんでしょう?

北田

普通のバスケと違って、障がいの重さに応じた持ち点制度があるんです。障がいの重い選手が1点、軽い選手が4.5点といったかんじで0.5点刻みにずつあって。コートにいる5人の合計点数が14点以内で試合をするルールなんです。それがないと、障がいの軽い選手が5人出たほうが強くなるし、障がいの重い選手は「努力しても無駄」ってなると思うんです。

とは言っても、点を取るスポーツなので、たくさんシュートを決める選手が目立つし、チームが勝つためには、障がいの軽い選手にできるだけシュートを打たせる戦略をとるんですよ。

そのためには、障がいの重い選手が、相手のディフェンスをブロックして道を作ってくれたり、パスしてくれたりして、一本のシュートが生まれるんです。なので、一本のシュートを5人で作るっていうのが、すごく面白いと思います。

北田

1人の大スターがいても絶対、勝てないです。5人の力が相手より上回ったら、勝てるといった感じで。メンバーの意思が1つのプレーに集まって、「そうそう!」「そうするよな」「私もそうする」って、みんなが思う瞬間あって。その瞬間が、めっちゃ気持ちいいですね。

――思いが1つになる機会を増やすために、実践していることはありますか?

北田

お互いのことを知ることですね。得意なことや、「次にこうするだろう」ってことをどれだけ知るかですね。ある程度、予測を立てたうえでプレーが組み立つので。

合宿とかで集まったときに、コミュニケーションをとって、その細かい擦り合わせをどれだけやるか。1つの目標を達成するために相手のこと、自分をどれだけ知ってもらうかに尽きると思います。

試合後に、みんなで録画したビデオを観ながらメンバー同士で「こんなプレーをしてみたら?」とか提案したり。そういう意味では、仕事にも通じる部分があるのかなって思います。この人は、何ができるか、何が得意かっていう。

――木村選手の場合、個人競技ですが、その魅力は?

木村

やっぱり個人として、黙々と取り組むぶん、自分の頑張りが結果に直結するので。そのシンプルでストレートなとこが自分にすごく合ってるし、それこそが魅力だと思います。

パラアスリートを取り巻く環境

――アスリート社員になる前と後で、大きく変わった点を教えてください。

北田

コンディションが安定して、トレーニングの質やパフォーマンスが上がったことですね。LINEで初めてアスリート社員になったんですが、前職では4年ほどフルタイムで働きながら競技をしていました。ロンドン・パラリンピックの予選のときもそうで、帰国して時差ボケのまま出勤したり(笑)。

当時は、始業前の朝6:00から8:00まで会社が所有する体育館で練習して、仕事終わりの17:00以降は、片道1時間半かけてチーム練習に行ってたんです。競技に対して理解のある会社だったので不満はないんですが、自分が選んだとはいえ、睡眠時間も少なかったし、朝食と夕食は車内で済ませて、昼食は社員食堂といった生活で。

本来のアスリートは「自分」という土台があって、その上にトレーニングが乗っかってくると思うんです。けれど、仕事をしている時間が、アスリートとしての自分を一番ないがしろにしてたなって。

そのことをLINEで初めてアスリート社員になったことで、気が付いたんです。いまは、睡眠や栄養面をしっかり管理できようになって、競技に集中できるので、すべてが良くなった感があります。

木村

僕は、初めて入社した会社がLINEで、他の会社のことは分からないんですが、北田さんが言ったように「24時間をアスリートとして、自分のために生かせる環境」が、本当にありがいたいです。

週6日間、月曜日から土曜日までの時間を練習に生かせているので。帰宅してから、しっかりと身体を休めることができるし、趣味の時間も楽しんでます。

全力で走りながらのかけひき

北田

そういえば、聞いてみたかったことがあって。前に、陸上競技用の車いすの「レーサー」に乗ったことがあって、それに乗ると姿勢が前のめりになって、走ってるとき地面しか見えないんですよ。その状態で、レース中、どんなことを考えながら長距離を走ってるんだろうって。

車いす陸上競技では一般的な車いすに比べて車体が軽く、前輪が1つ、後輪が2つ付いた、スピードを出すために空気抵抗が少ない構造になっている競技用車いす(レーサー)に乗って行われます。

木村

球技用の車いすと比べると確かに違いますね。マラソンの場合だと、かけひきがあったり、レース中は周りの選手と会話しながら走ってたり。

――喋りながら走るのは、驚きですね。

木村

「一緒にどこまで行こう」と言いつつ、タイミングを見て、スパートかけたり(笑)。心理戦というか、やっぱり1位を目指して走っているので。

思い描く究極の目標

――競技をするうえで、最終的な目標ってなんでしょう。

北田

世界一の選手になることが最終的な目標です。世界一のチームはパラリンピックで金メダルを獲ったチームだけど、「世界一の選手って誰が決めるの?」ってなったとき、決めるのは自分自身だと思うんです。

私が思う世界一の選手は「世界一、車いすバスケを楽しめる選手」で、頭の中で思い描いているプレーを表現できているときが、楽しい瞬間なので。

自分以外の味方とボール1個と相手5人をコントロールするのは不可能だけど、スキルやコミュニケーション含めて、必要なすべての要素を極限まで高めたら、それができるんじゃないかって。なので、「世界一、楽しい」って思えたら、競技を辞めるかもしれないですね。

――いまのところ、思い描くプレーに近づけています?

北田

あと何年で、とかは分からないけど、方向は間違ってないなってところまでは、きたかな。

木村

僕は、つねに1位になることを目標にしていますが、直近では順位よりも100mでの記録を伸ばすことですね。それ以外の種目もどんどんレベルを上げていきたいし、いずれは携わる競技、すべてで納得のできる結果を得られたらと思っています。

インタビュー慣れしていない木村選手の緊張を解くかのように、持ち前の明るさで笑いを交え答えてくれた北田選手。

このインタビューの後、北田選手、木村選手のほかに同じくLINEのアスリート社員でパラ陸上競技の山路竣哉選手(100m、200m)、緑川秀太選手(走り幅跳び)、男子車いすバスケットボールの丸山弘毅選手が合流して、社内イベントに登壇しました。それぞれ挨拶を兼ねた紹介と、自身が取り組む競技とその魅力について紹介しました。その様子を少しだけお届けします。

左から丸山弘毅選手、緑川秀太選手、山路竣哉選手、北田千尋選手、木村勇聖選手。競技や活動地域も異なるため、この日、初顔合わせの選手も。

人事・総務統括/執行役員の落合紀貴(写真左から2番目)の進行のもと、和やかな雰囲気で進められました。

社員同士、集まって記念撮影をしました。

競技や活動地域も異なるアスリート社員が一同に会した、社内イベントの様子を紹介しました。2020年もLINEのアスリート社員は世界を舞台にチャレンジし続けます。

北田選手は、2月14日~2月16日の期間に、丸善インテックアリーナ大阪で開催される「国際親善女子車いすバスケットボール大阪大会」に出場します。

木村選手は、3月14日〜3月17日の期間(競技会期間)、ドバイにて開催される「【国際大会】2020ワールドパラアスレティクス グランプリ(ドバイ大会)」への出場が決定しています。

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斉藤 幹晴

PR室で社内広報を担当。2004年にライブドア(現LINE)入社。メディア事業部でスポーツ、映画などのニュースサイト、コンテンツ作りに携わる。現在は社内報の企画編集などに従事。趣味は音楽鑑賞(ジェイコブ・コリアー)、読書(「うしろめたさの人類学」)、自転車に乗ること。